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米屋 こめつぶ通信

おなじみ「こめつぶ通信」がブログになりました!
季節の話題や米屋でのちょっとした出来事を、楽しくご紹介しています。

2012年10月の記事一覧

ようやく暑さが抜けて、

外も涼しい秋の空気になってきた須賀川市でございます。

 

さて、そんな秋の始まり。

当館の周りはといいますと...

 

 

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ようやく緑の中に"赤色"が芽生えてきました!!

 

 

本日お客様からも

「ちょっとだけ秋だね(笑)」

というお声も頂けるようになりましたので、

今日から今年の米屋の秋の発信を

この「いろどり通信」で

発信していこうかと思っております♪

 

外の自然はもちろん、

館内で感じるいろんな秋をお届けします☆

 

 

では...今年の米屋の秋のスタート!!

どうぞ、お付き合いくださいませ。

 

 

フロント 松岡

 

 

今回はお知らせです♪

 

1110日に須賀川市で「松明(たいまつ)あかし」

という全国区のイベントがあります。

日本三大火祭りとして、その名を轟かせていますが

なかなか概要を知らない...という方も少なくはありません。

福島県民の松岡も、正しくこれについて知ったのは近年でございます。

ということで、今回!

改めて松明あかしをご案内させていただきます!

少々長くなりますが、どうぞおつきあい下さいませ...☆★

 

 

Q. まず松明とは?

 

.布を巻きつけた木の棒に火をつけ暗がりを灯す火。

(日本の映画などで洞窟に入るとき良く見ますね。洋画だとランプだったりもしますが)

 

イメージは出来ましたでしょうか?(笑)

 

 

その他に松明は、「神聖なる火」を運ぶ物とされています。

オリンピックのトーチなどもそうですね。

 

それはこの福島県須賀川市の「松明あかし」も例外ではございません。

 

色合いの深い秋の夜空を焦がすこの行事の由来は、

およそ420年以上前にさかのぼります...。

 

 

 

420余年前、会津と対立をしていた須賀川領主"二階堂盛義"は和睦の為、

会津"芦名"家へ7歳の息子"隆盛"を人質として送ります。

その後、当時会津城主"芦名盛興"の死に伴い隆盛は乞われ会津城主"芦名隆盛"となり、結果会津芦名と須賀川二階堂は一心同体の間柄となりました。

二階堂は勢力を増し、領地をさらに拡大していく一方で

隆盛が24の歳、家臣に殺害されるという出来事が起こります。

 

そこで次期城主を決める際、当時の東北一大勢力"伊達正宗"が弟"小次郎"を送り領地の拡大を狙いますが、芦名家家臣は悩んだ末"佐竹義重"の弟"義広"を婿として迎えます。

 

この出来事が正宗に会津芦名家に対する強い敵愾心を持たせることとなり、正宗と義広はそののち戦となり、正宗は芦名家を滅ぼします。

 

勢いに乗る正宗はそのまま二階堂家重臣らに密通を送り須賀川二階堂を滅ぼす策略を巡らせます。

風説入り乱れる城内外では「戦うか」、「和睦か」で大きく揺れ動きます。

 

ここでその選択を決めたのが、亡くなった18代城主盛義の後室で当時の須賀川城主"大乗院"だったのです。

 

大乗院は正宗の叔母であり、とても強気な戦国女将で、

南奥羽に勢力を伸ばそうとした正宗を心良しとしませんでした。

 

正宗は伊達家への和睦を大乗院へ求めます。

しかし正宗の策を知った家臣や町民は十月十日の夜、手に松明を灯し集まり

決死の想いで須賀川城を守るために戦うことを決意します。

 

その思いを知った大乗院は二階堂の武将を集め

「私の孫であった芦名家を滅ぼして、須賀川を目指す正宗に何故降伏などしましょう。私は伊達家の娘でありますが、今では須賀川二階堂城主です。今や正宗は次々に計略を巡らせ、降伏を仕掛けているという風聞がながれていますが、義を重んじ節に死のうとする者は私と一緒に戦い、城と運命を共にしましょうぞ!」

と涙ながらに切々と話されました。

この言葉に家臣たちの感は極まり熱い涙とため息が零れ落ち、二階堂家筆頭家老の和田城主"須田美濃守"は

「それほどまでの御決意の前で、私共が歴代の恩恵を忘れいかに正宗側につきましょうか。」

と家臣一同、一致団結し正宗と決戦する忠誠を御誓書を熊野牛王符へ書き貫き、それを燃やした灰を酒に入れ盃を交わし、固い誓いをしたのでした。

 

そして決戦となった最中、須賀川軍は圧倒的な勢力の差にも関わらず善戦し、一進一退譲らぬ攻防を繰り返し、敵味方数多くの兵士たちが武人としての最後を遂げていきました。

 

この時、和睦を唱えていた二階堂家家臣"守谷筑後守"は正宗に内通し城本丸の風上にあった長禄寺に火を放ったため町中は火の海となり須賀川城は多くの家臣とともに炎に包まれ、400年間南奥羽の雄として権勢を誇った二階堂家・須賀川城は落城し、落城後も踏みとどまり戦い抜いた兵たちも義を持ちこの世と別れを告げていきました。

 

落城時、本丸にいた大乗院は自害を決意し懐刀を抜いたところを須賀川の家臣を名乗る者たちに止められ救い出されますが、その者達は伊達方の人間でした。

 

その後、正宗は「叔母の意に任せよ」と命じ福島、いわき、常陸へと移り住み、最後は須賀川の地で42の生涯を閉じたのです。

 

この戦いを知る人間たちが、戦死した多くの人の霊を弔うため、新しい領主の目をはばかり<ムジナ狩り>と称し現代まで続けられ須賀川市の伝統行事となりました。

近年では須賀川二階堂川のみならず、伊達方の戦死者を含めた鎮魂の想いと、先人への感謝の想いをこめ今に至る...

 

とのことです。

 

 

今も昔も忘れてはならない「義」「想い」「願い」が込められたお祭りだと松岡は感じております。

 

松岡は学生時代そんな思いをまるで知らずに、このイベントを眺めていました。

 

このお話を知った今年の松明は、どんなふうに見えるのかな...そんな風に思うこの頃でした。

 

皆様も、是非身にいらして下さい♪

 

フロント 松岡